弁慶と牛若丸が五条大橋の上で戦う姿を表しています。この山には山籠も真松もなく、山の上を舞台として風流の趣向を見せていた時代の形式を伝えています。この意味でも古式の山だと考えられます。 前懸に合わせて後懸があって、金幣も前後二対同じようについています。八方正面で芸裏はどこにもありません。このような山は他には見当たりません。
人形には、永禄6年(1563)大仏師康運(こううん)作の銘があります。また、足の鉄串には、天文丁酉(1537)右近信国の銘があります。
髪を巻き上げ、引き締まった面持ちで、橋の擬宝珠の尖端に左足の足駄の前歯で立ち、右足を後に跳ね上げています。右手に持つ太刀は、近江守久道の作といわれております。
※2018.07.04修正
京都国立博物館に収蔵されているのは「牛若丸の右手に持つ太刀」と掲載していましたが、「弁慶の大太刀の刀身」でした。
ここに訂正しお詫びいたします。
橋の擬宝珠の尖端に左足の足駄の前歯で立つ牛若丸。
2022年に新調(寄贈:長谷幹雄 理事長)
人形には、永禄6年(1563)大仏師康運作の銘があります。褐色の御顔に鉢巻を締め、眉を吊り上げ目を開き、驚きと困惑の混ざった表情で、刃渡二尺三寸五分の黒漆塗長刀を持ち、朱塗蛭巻脇差と1.8mの大太刀を帯びています。手首と足首に太い綱を一巻きにして大きく結びしめているのがおもしろく、いかにも弁慶らしい精悍さを表現するアクセサリーになっています。
弁慶の大太刀の刀身は備前盛光作で、京都国立博物館に収蔵されております。刀の長さは74.6センチ、反りは2.8センチです。
●弁慶の力縄(ちからなわ)
弁慶の両手足の縄は「力縄」と呼ばれ、毎年祇園祭に縄を綯い、巻きつけております。「力縄」は、弁慶の勇敢な姿にあやかり心身ともに強健でありますようにという願いが込められています。
欄干は、黒漆塗反り橋で橋板も艶々と磨かれています。左右四本ずつ親柱があり、金鍍金の擬宝珠がついています。
「加茂祭礼行列図」綴錦
葵祭を絵巻風に牛車、近衛使、検非遣使などが描かれた「加茂祭礼行列図綴錦」で円山応挙の下絵とされるものです。
1809年(文化6年)に制作された綴織胴懸を2011年(平成22年)に復元新調しました。
題材は賀茂御祖神社(下賀茂神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で賀茂祭と呼ばれる祭儀、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つのうちの「路頭の儀」を表しており、この行列を見る都市型祭礼が今も葵祭として継承されております。
「椿石(ちんせき)霊鳥図」綴錦
原画は、清荒神所蔵の衝立です。本綴錦は、原画と同寸法に織成されていて、原画の高雅な趣きを十二分に伝えています。
「唐子嬉遊図」(平成24年に復元新調)
唐子遊びを表現した子孫繁栄を祈念する吉兆図である。
下の織物は、中国民末清初期に制作された刻絲と呼ばれる幟状の綴織であり、文化年間に裁断し横に継がれて水引に仕立てられたと推定される。縦長の綴織を横長の水引に仕立直した工夫の跡が随所にうかがえる。
7月21日午前11時ごろ(約30分)
お山建て終了後、橋弁慶山が町内を1周する。